私とアイバンク

私とアイバンク
   

                     ドナー家族(ライオンズクラブ会員)

 チャターメンバーとして私が所属している下松中央ライオンズクラブは、今年30周年を迎えます。入会当初は各クラブが周年事業として献眼基金へ寄附をしていたことを記憶しています。
 (財)やまぐち角膜腎臓等複合バンクの設立以来、我がクラブは私の父を含め6名の献眼者を出していますが、私は、父が献眼をして始めて、アイバンク運動に関心を持つようになりました。
 3年前の8月18日、午前5時頃、弟の家で療養していた父の容体が急変し、救急車で病院に搬送する途中に息を引き取っていたようです。病院で死亡が確認されてからは、何をしたらいいのか頭がボーとしている中、葬儀社やお寺への連絡、そして葬儀の段取りをしたように思います。
 父の遺体を弟の家に連れて帰り、住職の枕経が済んでから自宅に帰りました。生前の父や葬儀など考え事をしていたとき、電話機の横に貼っていたライオンズクラブから貰った角膜提供発生時の連絡先の黄色い紙が目に入りました。「そうだ、入会したとき、父と一緒に献眼登録をしたんだ」と、献眼を思いつきました。時間は8時40分位でした。献眼は時間との勝負と認識していたので、献眼のお世話をされたメンバーに電話をして、一通りのアドバイスを受けてから、アイバンクへ献眼をすると電話で伝えました。
 バンクの方に、父が95歳であることや白内障の手術をしていること、寝たまま息を引き取ったことなどを話したところ、「献眼は大丈夫です。」との回答でした。アイバンクの方が「今から準備をしてドクターが宇部から出発します。ご自宅への到着は約1時間半後になります。家の近くに行きましたら電話を差し上げます。」と聞いて待機していました。
 弟の家は、日本料理店をしており店の看板で比較的場所が分かりやすかったのか、予定の時間に2名の若い女性医師が来られました。摘出方法や感染症などについて丁寧に説明を受けたのでいささかの不安もありませんでした。摘出の時間は1時間程で無事終わりました。目の周りには傷は全くありません。家族も義眼を入れたことを私が説明をして始めて気付いた程、顔面は穏やかでした。
 お通夜と告別式の挨拶で、父が献眼をしたこととライオンズクラブの献眼運動を報告しました。95歳で人生を終えた父が、最後に素晴しいボランティアをしたこと。父の角膜で何処かの誰かに光が取り戻せたことなど・・・。後日、父の角膜が無事に移植されたと聞き、何かしら胸に熱い思いがこみ上げてきて、父の献眼を誇らしく思いました。
 ライオンズクラブのキャビネット役で、5R-1Zゾーン内にある6クラブのお世話をする役が我が下松中央ライオンズクラブに回ってきました。私は父の献眼をした貴重な経験を、会員の方にはこの素晴しいアイバンク運動を今、一度再認識してもらい、また、一般市民の方には、この運動を啓蒙していきたいと思い、自ら手を挙げてその役を引き受けました。
  昨年、2月11日に6クラブとアイバンクの小野村事務局長さんなど皆様のご協力を得て、ライオンズクラブ5Rー1Z合同事業として、くだまつスターピア展示ホールで「愛と光と アイバンク運動推進大会」を開催しました。当日は予想を上回る250名もの参集がありました。
 大会は、「眼の病気と角膜移植」をテーマに、角膜移植では世界の権威者として知られる山口大学眼科西田教授の講演で始まりました。角膜の働きや病気、そして移植手術について、パワーポイントを駆使されながら教授が分かりやすく説明されたので、改めて、角膜の知識とアイバン運動の必要性が認識できました。

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 次に、下松市のあかい坊名誉住職の三池孝尚先生から「布施の心」と題された講話をお聞きしました。三池先生は我がライオンズクラブの元メンバーで、在籍中は献眼運動の必要性を説いておられました。先生のお話はいつもユーモアにあふれています。今回は、特に、献眼は身を以てする最高の「布施」。献眼するのも残された家族の理解がないとできないので、日頃から献眼について話し合っておくことが大切ですと説かれました。
 3人目には、やはり昨年亡くなられたお父さんの眼球を献眼されたメンバーの松田さんより献眼者家族の立場からお話をしていただきました。松田さんも私と同じように献眼してお父さんが何処かに生きている・・・。献眼してよかったと熱く語られました。
 次に、角膜の移植手術をしないと眼が見えなくなってしまう。手術への不安と見えるようになってからの喜びを、レシピエントの立場から木村トシ子さんの話を聞きました。移植手術によって光を回復された体験談に目頭が熱くなりました。
 この推進大会に知人の○○さんご夫婦が来られ、帰宅後、娘さんにアイバンク運動の話をされたそうです。そのお父さんが膵臓癌で体調を崩されて危篤状態の最中でした。アイバンクに理解があるご家族だと思っていましたので、言い出しにくいことでしたが、ご家族が集まられた席で献眼をお願いしてみました。しばらくして、「献眼をお願いします。」との言葉を聞いて胸が熱くなると共にご家族への感謝の気持ちでいっぱいでした。ライオンズクラブの会員、その家族以外の方から提供をいただけることは希であるため、アイバンク運動推進大会を開催して良かったなとつくづく思いました。
 翌日の夜、○○さんが亡くなられた知らせを受けて、ご遺体が自宅へ帰られる時間などを考慮しながらアイバンクと連絡を取り合いました。幸い、事務局の小野村さんとも面識があり、父の献眼の経験もあったので要領よく全ての段取りが進みました。私の経験から、自宅での摘出は、ドクターが目的の建物を探すことが難しいので、夜間は特に、ドクターを何処かにお迎えに行った方が全てにロスが無いので最善だと思っています。真夜中でしたが寶城さんの眼球摘出は、医師の到着からお帰りになるまで丁度1時間でした。崇高な心で献眼していただいた遺族の方々への感謝と充実した気持ちの高ぶりを押さえきれませんでした。
パンジー.jpgのサムネイル画像 告別式で、アイバンクの小野村さんから遺族の方に感謝状が渡された後、○○さんの角膜は良好な角膜で、直ぐに移植されたとの報告を聞きました。娘さんが「お父さんの角膜で何方かに光が見えるようになり、まだ、お父さんが生きている気持ちになりました。87歳のお父さんがお役に立てて嬉しい。」とも言ってくださいました。
 私は、このような経験に基づいてアイバンク運動に積極的に関わり、皆さまにこの運動を伝えていくことが使命だと自覚し、今後も頑張りたいと思っています。
(追伸 平成22年○月○○日、メンバーの○○さんのお父さんの献眼のお手伝いをさせていただきました。)

 


2011年9月28日 17:06 | カテゴリー: 提供者・移植者の声
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