献眼活動によせて(クラブのアイバンク活動)

献眼活動によせて(クラブのアイバンク活動)
   

                                  ドナー家族(ライオンズクラブ会員)

 新南陽若山ライオンズクラブは平成2年5月6日に認証伝達式を執り行い誕生致しました。
 時のライオンズクラブ国際協会336-D地区ガバナー山中健三氏の奉仕活動の一つである ”献眼運動を前進させよう” に協力し、記念事業として27名全会員が献眼登録を行い、336-D地区献眼基金へ20万円を寄贈したのがアイバンクの活動の始まりです。
 当時、島根県、山口県にはアイバンクが存在せずバンク設立と献眼運動を目指して平成3年10月に市民参加のもと ”第1回アイバンク設立基金チャリティショー” を開催し、昨年9月25日に節目の ”第20回アイバンク&盲導犬育成基金チャリティショー” を開催致しました。お陰様でアイバンクの寄附金は20年間に及び、毎年上位3位迄を占めております。平成5年に3億円の基金を目標に、(財)やまぐち角膜・腎臓等複合バンクが設立されましたが (基金の内訳 県・市町村・民間・各1億円) 民間からの調達金1億円を達成するためチャリティショーは継続し、達成後も資金不足を補う為、今日に至っております。

アイバンク活動10年目の献眼
 アイバンク事業を始めて10年目の記念すべき年に、初代会長 ○○さんのご母堂○○様(享年93歳)と初代幹事 ○○(私の母)○○様(享年93歳)のお二人に献眼して頂きました。二人の母が私共に崇高なご褒美をくれたのです。クラブにとっては初めての献眼で献眼登録とチャリティショーに益々献身する弾み身ができました。

アイバンク20年目の献眼
 平成22年9月25日にクラブ設立20周年記念事業として ”第20回アイバンク&盲導犬育成基金チャリティショー” を盛大に開催した翌月10月14日のクラブ例会において、20年目の節目を契機に献眼をお願いに行く行動に出られないか、そのためには先ず会員が献眼の意思を家族に伝えておくことであり、手段として”献眼宣言書”いわゆる遺言として額縁に入れ居間に掲示することを提案したのですが、唐突な提案であった為に動揺があり、献眼活動に私自身腰が引けクラブの活動としての限界も知り悩んでいたおり、いみじくも一週間後の10月20日にチャリティショーを手伝って頂いている○○さんから、ご尊父の献眼申し出を頂き、摘出手術からお葬儀までお手伝いをさせて頂きました。
 ○○様の崇高な申し出により私も勇気百倍、献眼のお願い活動を前向きに考えていた11月27日、会社のお客様である○○様をお見舞いに行ったとき、同室にお母さんも脳内出血で意識不明のまま寝ておられたのです。その日は何も言い出せず、まんじりともせず夜を明かしたのですが、朝一番に勇気を持って献眼のお願いをしたのです。○○様は、「人助けならええ事じゃあないでぇ。わしは良いが兄弟もいるので明日返事する。」とのことでした。翌朝、早く会社の朝礼前に電話があり、「献眼を宜しく頼みます。」 と返事があり、初めてのことに私も目頭が熱くなりました。早速、朝礼で○○様の崇高な好意を社員に報告し、献眼について説明致しました。
12月5日、○○様より連絡を受け、ご母堂様の献眼の手続きと摘出手術からお葬式までお手伝いをさせて頂きました。

同胞には同胞の角膜を
 今、角膜移植には、輸入角膜も使用されていると聞いています。角膜はお亡くなりになられてから提供していただきます。人間愛の希薄な世知辛い世の中で、暗闇で困っている角膜障害を持つ人の為に、同じ民族の角膜により ”愛の光” を取り戻せないものでしょうか。○○様の「人助けならええ事じゃあないでぇ」。素朴な言葉に人間愛が満ち溢れております。眼球摘出手術をためらうご家族の心情は良く理解できますが、角膜が人様の明かりになって存在することも、また、理解をいただきたいと願っています。

ホタル.jpg“逝きてなほ 光りみちびく 母ほたる”
 私の母は6月19日に亡くなり献眼致しました。お葬式を済ませてしばらくは母のことを思うと涙がとまりません。会社から帰る道すがら信号待ちをしていると、ふーと 蛍がフロントガラスを横切ったのです。時期おくれのホタルが母の姿に思えたのです。
 

 


2011年9月28日 14:16 | カテゴリー: 提供者・移植者の声
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