父の献眼

父の献眼

平成23年9月新南陽若山ライオンズクラブ
歌謡チャリティーショーで発表されたお話です
 
 御紹介いただきました国広と申します。
 こんなにたくさんいらっしゃる皆様の前で、まさか父のことについてお話をさせていただくなんて思ってもおりませんでしたので、今とっても緊張しています。
 只今、御紹介がありましたように、私は、毎年、新南陽若山ライオンズクラブが開催される歌謡チャリティーショーのお手伝いをさせていただくようになりまして、角膜の提供・献眼について少しずつ理解もし、お役に立てたらいいなと思うようになって参りました。
 皆様も御両親については、さまざまな思い出をもっておられると思います。桜01.jpg
 私の父は、戦争に行った経験がありますので、それはそれは厳格な父でした。用事を頼まれてすぐに「はい」と返事をしないと怒鳴るし、怒るし、叩かれるし、又、父が食卓に座るまでに先に食事をしていたりすると、お膳ではなくてテーブルがひっくり返るというワンマンな父でした。
 このような時には、「こんな人は、私の父ではない」といって泣きました。
 でも、今、思い出しながら振り返って見ると、食事をする時はみんなが揃って「いただきます」といい、料理を作ってくれた母には「おいしいよ」といってあげる。又、家族の為に一生懸命働いている父を家の長として大切に思うという家族への絆や、思いやりの心を父は私達に教えていたんだと思います。
 私が徳山に嫁いで来ると、父は「お前がおらんと寂しい」といって、家も山も畑もみんな売って徳山に家族が越してきました。
 私に長女が生まれると、毎日、毎日、孫の顔を見に来ておりました。あんなに厳格な父も年を取ってくると少しは、折れるところは折れるようになってきたので、ほっとしておりました。
 父が80才の時、母の体調が悪くなって、ほとんど寝たきりの状態になりました。その3年間、在宅介護をやり遂げました。
母が亡くなってからしばらくして、妹のいる福島県郡山市に引っこして行きましたが、どうしても私と一緒に暮らしたいと毎日手紙が届くので、私も仕方なしに主人に「父をここに呼んで、一緒に暮らしてもいい?」と相談しましたが、すぐにはOKが出ませんでした。
 それなら「私は、貴方と別れても父を見てあげたいから」と、少々主人をおどしましたら「そねぇゆうんならマーエエヨ」と、OKが出ました。
 それから、あの気難しい父との生活が始まりました。4年間は、それなりに穏やかな日々を過しておりました。それから間もなく、入院生活が始まり、私は、この頃から、角膜提供・献眼のことを考えるようになりました。父は病院で8年間を過しました。
 去年(平成22年)の10月の中頃から、病院から度々電話がかかってくるようになり、家族は落ち着かない時間を過しておりました。
 この時、新南陽若山ライオンズクラブの山本二雄さんに、「献眼することを決めました。その時はよろしくお願い致します。」と、お願いをしておきました。
 父は10月22日に亡くなりました。96才でした。父が亡くなって一番最初に電話をしましたのは、ライオンズの山本さんでした。山本さんはすぐ山口のアイバンクの小野村さんに連絡をして下さいました。父は、登録はしておりませんが、平成21年に臓器移植法が大幅に改正されて、昨年の7月に全面的に施行され、亡くなった本人の提供意思がなくても家族の同意により提供が可能になったからと、OKでした。
 夜の12時頃に、病院から葬儀場に移動いたしました。葬儀場についたら、山本さんはもう来て、待っておられました。宇部から先生が来られるのを待っている間、悲しいという思いよりも、角膜の摘出はどんなことをするのかと、不安な気持ちと心配ばかりしておりました。午前3時過ぎに宇部市から眼科の先生が来られて、すぐに角膜摘出にとりかかられました。私はこわくて見ることが出来ませんでしたが、時間は30分位しかたっていませんでした。先生が、「終わりましたヨ」と言われたので、父の顔をのぞきこんで、じろじろと見ましたが、何もかわったところもなく目もきちんと形よく閉じて眠っているように見えました。
菖蒲01.jpg 私はこんなに簡単に出来るのなら、心配することは何もないと思いました。もっと、たくさんの方々に理解していただけるようにと、私は今、お友達に声をかけております。妹たちも、こういうことがあることを知らなかったので、人を助けてあげることが出来たと喜んでおります。
頑固一徹の父でしたが、96才までの人生の最後に角膜の提供が出来たということで、優しい気持ちと、暖かい気持ちがプラスされた父に、生まれ変わってくれたような気がします。
 一度きりの尊い命が終っても、困っている人の光となって生きつづけられることに「父はきっと、お前はええことをしてくれた」と喜んでくれていると思っております。
 このような父ですが、人のお役にたてて一生を結ぶことの幸せを、私は何ともいえない暖かいものを感じているところです。ライオンズの山本二雄さんは、お通夜からお葬式まで、最初から最後まで一生懸命心を配って下さいました。
心から感謝申し上げます。
 父の献眼について、お話しをさせていただきました。御清聴ありがとうございました。
 
 
 
 
 

2012年4月 9日 11:33 | カテゴリー: 提供者・移植者の声
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